5-4
土木部門の誕生と米軍日本建設本部の仕事
住友内の別企業であった長谷部・竹腰建築事務所と大阪北港株式会社は、昭和19年(1944)、国の「企業整備令」に従って合体されることになりました。
戦後、その合体は予想もしなかった別種の2つの活力を生むことになりました。一つは、後に住友商事となる「商事部門」の誕生、もう一つは、日建設計工務が「土木部門」を有することになったことです。
5-18 大阪北港方面図
大阪北港株式会社設立から82年後の2001年、上図の中央の一部に
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンがオープンしている。
土質・地盤などの調査と建物の構造設計は、一切を自分達の手で
工場設計が戦後の日建設計工務において仕事の半分近くを占めていたこと、またその実績が現在の日建設計において重要な展開を示していることは、前稿で述べた通りです。広大な製鉄工場を作るには、土地造成設計や重量機械基礎などの土木設計が不可欠です。大規模工場プロジェクトでは建築・土木の業務を一体的に遂行できる体制が必要ですが、日建設計工務は、土木部門があったからこそ製鉄工場の設計監理が可能となり、戦後の厳しい時代を生き延びることができたのです。
-
5-19 大阪北港工事 埋め立て作業
-
5-20 大阪北港工事 函塊据え付け
-
5-21 大阪北港工事 函塊曳航
在日米軍日本建設本部(JCA)の仕事から
JCAからは、土木・建築・設備の混成メンバーからなる、米国流のプロジェクト・マネージメント方式で進めることを求められました。この方式が、1962年に日建設計工務がプロジェクト・マネージャー制度を明確化した原点となっています。また、図面・仕様書なども、米軍の設計技術基準に則り英語で作成することが要求されました。この英語による仕事の中で、米国の新技術も吸収し、設計仕様書の内容や組み立て方等も取り入れています。これらのJCAのプロジェクトでの経験は、現在の多くの海外プロジェクトに自然体で臨む組織づくりの原点にもなっています。
5-22 JCAプロジェクトの図面の例
右下にJCAの”Approval”の署名がある
5-23 JCAとの打ち合わせ風景
中央は日建設計工務の初代社長・尾崎久助
“Diversity”:日建グループの「多様性という力」
“Diversity”こそ、日建グループの「力」の源泉の一つです。
2001年、土木部門は日建設計シビルとして分社独立しました。民間事業分野における産業基盤整備・開発プロジェクトや、社会基盤(インフラストラクチャー)に関連した都市空間・地下街設計も行っています。現在では、中国やベトナムなど世界各地の都市開発プロジェクトにも携わることとなりました。
-
5-24 べトナム ホーチミン市 (計画策定 2012年)
ベンタイン駅周辺地区総合開発事業準備調査ホーチミン市都市鉄道1号線のベンタイン駅周辺で、プラットフォームと地上を吹き抜けで繫ぐことなどにより、 魅力的で活気ある地下空間を創り出す計画。 -
5-25 東海明珠島概念計画(於:寧波市)(計画策定 2007年)
約800haに及ぶ大規模埋め立てや内水面の水交換等の技術を活用しつつ、既存の自然環境と共生し、海洋資源に溢れる高水準のリゾートアイランドをつくり出す計画。
橋本 喬行 (1999)『北浜5丁目13番地から』創元社
日建設計シビル ホームページ
太田 久治郎(1941)『大阪北港二十年史』大阪北港株式会社
5-18~21 1941『大阪北港20年史』大阪北港株式会社
5-22 船越義房(1968)『尾崎久助 その生涯と業績』日建設計工務株式会社