新型コロナウイルスによりもたらされる新しい社会に向けて
~after コロナ社会におけるWell-beingと建築環境デザイン~

日建設計 エンジニアリング部門 設備設計グループ ダイレクター
田中 宏昌
(役職は公開時のものです)

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 1974年のWHO憲章では、「健康とは、単に病気ではない、弱ってはいないということではなく、身体的、精神的、そして社会的にもすべてが満たされた状態(Well-being)にあること」と定義されています。最近では、このWell-beingという単語は、「健康かつ幸福な状態」を表す言葉として用いられており、ESG投資(※)においても注目され、さらにコロナ禍でその重要性が加速するのではないでしょうか。そこで、afterコロナ社会におけるWell-beingと建築環境デザインとの関わりを考えてみたいと思います。

(※):Environment(環境)、Social(社会)、Governance(統治)の観点から企業を分析・評価した上で投資先を選別する方法

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田中 宏昌
(役職は公開時のものです)

afterコロナ社会はさらなる健康志向へ向かう

 「健康」には、WHOの定義の他にも、いろいろな側面と課題があります。例えば、高齢化にともなう医療費負担の増大や人口減少にともなう労働力不足を補うための生産性向上などから、コロナ禍以前の日本では、いわゆる病気にならないための「ヘルスケア(健康管理)」に重点が置かれていました。しかし、コロナでの体験が、これまでの「健康」に対する考え方を大きく変えると考えられます。それは、今まで経験したことのない外出制限や移動制限により、精神的なストレスを感じ、同時に自然と接したり身体を動かしたり、人と触れ合うことで、それを癒すことができるということに気づいたからです。ストレスが人間の免疫力を低下させることは医学的にも知られています。afterコロナ社会で人々は、感染しないための健康づくりとして、ストレスの軽減も含め、これまでよりももっと能動的に「健康」を志向するようになるのではないでしょうか。

マズローの欲求5段階説とWell-being

 アメリカの心理学者マズローは、人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されていて、低階層の欲求が充たされると、より高次の階層の欲求へ向かうと考えました。このマズローの考案した欲求5段階にWell-beingの3つの健康要素「身体」「精神」「社会」を当てはめて、人間の「健康」に対する欲求を説明することができます。低階層から順に、生理的欲求と安全欲求は「身体」、社会的欲求は「社会」、尊重および自己実現欲求は「精神」を当てはめます。この階層で考えてみると、コロナ禍以前は、病気にならないための身体的な健康が主な欲求でしたが、afterコロナ社会では、コロナ禍で芽生えた健康志向の高まりから、より高次な社会的、精神的な健康に対する欲求へと広がっていくのではないでしょうか。
 さて次に、Well-beingの欲求を満たすために求められる建築環境に目を向けてみます。例えば、安全欲求は、身の安全を守る環境ととらえられ、昨今の状況では三密回避が当てはまりそうです。この欲求は最下位の階層にありますが、非常に重要で決しておろそかにしてはいけません。快適性と安全性により身体的な健康が得られないと、人とのつながりや、精神的な健康の向上を求めようという気にはならないということは容易に想像がつくからです。現在、関連学会を中心に設計事務所も参加して、with/afterコロナ社会における空調や換気の在り方について、様々な検討や研究が行われています。まずは、これらの成果を踏まえて、エビデンスに基づいたしっかりとした感染予防対策の導入が必要であると考えます。
 さらに、上位の欲求に目を向けると、社会的欲求は“他者との関わりを持つための環境”、尊重及び自己実現の欲求は“創造的活動を誘発するための環境”と言えるのではないでしょうか。このような環境創りは、これをやればよいという画一的で明確な手法はありませんが、いずれも自然との共生が重要になってくると考えています。自然の持つ癒しの力や多様性は何物にも代え難いものであり、その魅力に人々は惹きつけられ集まります。そして、リラックスした中で新たな発想が生まれます。近年、緑などの自然の要素を室内空間に取り込むバイオフィリックデザインや、生体リズムに合わせた照明、1/fゆらぎ空調、香り空調をはじめとする五感に訴える要素技術など、室内においても自然を感じながら精神的な健康状態に寄与するデザインやアイデアが生まれています。また、徐々にではありますが、健康や知的生産性への効果も明らかになってきています。

マズローの5 段階欲求とwell-being 及び建築環境に求められる要素の関係 マズローの5 段階欲求とwell-being 及び建築環境に求められる要素の関係

事例から考えたWell-beingを満たす建築環境デザイン

 Well-beingを満たすための建築環境デザインにおいて何が大切なのでしょうか。この疑問に対する答えを過去の設計事例から考えてみます。ダイキン工業テクノロジー・イノベーションセンターは研究開発拠点建物として、全国各地から集結した研究者のイノベーションを誘発する空間を創ることが設計のテーマでした。
 これを実現するために、例えば、研究者が執務する大きなフロアの中間位置に「ワイガヤステージ」と名付けたコミュニケーションスペースを設けました。このスペースの上部には、光と風を導くボイド(吹き抜け)を設置して、自然の風が通り抜け、時間とともに太陽からの光の移ろいを感じられる空間としました。
 また、建物南側には、「TICの森」と名付けた散策の森を創りました。これは、地域に生息する小動物に快適な環境を提供するだけでなく、研究者の知的生産意欲を喚起させること、さらには近隣住民にも開放することで研究者と周辺住民の交流の場を設えることを目的に計画しました。
 結果として、「ワイガヤステージ」は研究者の精神的な健康を満足させ、「TICの森」は人と人とのコミュニケーションという意味で、社会的な健康を満足させることができました。このように、Well-beingを満たすための建築環境の設計では、ユーザーの希望をくみ取った明確な設計思想を創ることと、自然をうまく取り入れながら空間デザインに落とし込むことが大切なのではないかと考えられます。

建物中央に設けた2 つのボイドは、光と風の通り道を作る。
ワイガヤステージとボイド( 左上) ボイド見上げ(右上)自然換気のダイアグラム(下)
:ダイキン工業テクノロジー・イノベーションセンター(2015 年) 写真| Kouzan Shimizu

敷地のセキュリティラインを変更し、周辺住民が森を利用できるようにしている。
TIC の森: ダイキン工業テクノロ事例から考えた ジー・イノベーションセンター(2015 年)写真|(左)SS Co., Ltd、(右)Kouzan Shimizu

afterコロナ社会における持続可能な建築環境を目指して

 ここでご紹介したように、自然を取り入れることで人々の健康と幸福に資する建築環境デザインは、化石エネルギー消費を抑制し、地球温暖化を防ぐ脱炭素への世界的な動向と軌を一にするものでもあります。このようなWell-beingに配慮した取り組みによって、持続可能な社会の形成につなげていくように努力していく所存です。(2020年8月21日)         
※「Beyond Covid-19 社会・都市・建築」は連載です。今後は、建築家、プランナー、エンジニア、コンサルタント等が各専門の立場でビジョンを定期的に発信していきます。

  • 田中 宏昌

    田中 宏昌

    エンジニアリング部門設備設計グループ
    ダイレクター

    1997年、日建設計入社。
    グランフロント大阪、ダイキンテクノロジーイノベーションセンター、
    COOL TREE の建築設備・環境デザインを担当。
    建物単体だけではなく、パブリックスペースや周辺環境も含めた、健康で快適な空間づくりと環境負荷低減の両立を目指して設計していきたいと考えている。
    省エネ大賞、サステナブル建築賞、空気調和衛生工学会・論文賞、技術賞を受賞。
    大阪大学、立命館大学非常勤講師。技術士(衛生工学)。

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