イノベーションの変化と場の力

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リモートやABWが広がり、研究開発拠点やオフィスのあり方が大きく揺らぐいま、イノベーションを生み出す鍵はどこにあるのでしょうか。ナレッジマネジメントと価値創造支援に長く携わり、現在は一般社団法人Japan Innovation Network代表理事である仙石太郎氏を迎え、日建設計・児玉謙が場のデザインを語り合いました。ハードとしての箱に依存しない時代だからこそ求められる、異質な知が交わり創発を促す高密度の相互作用と、10年後・20年後の未来から逆算して構想する「場の力」に迫ります。

児玉 謙(以下、児玉)
仙石さんは、富士ゼロックス(現 富士フイルムビジネスイノベーション)在職時に価値創造コンサルティング部の部長や知識経営コンサルティングを行う部門の立ち上げに参画するなど、長きに渡り知の活用やナレッジマネジメント、イノベーションの実践支援に携わってこられました。企業の潜在能力を最大限に引き出し、ビジョンの具現化を後押しするワークプレイスとは、いかにあるべきだとお考えですか。

仙石太郎(以下、仙石)
私がお世話になった富士ゼロックスは、現在で言うところのリモートオフィスやサテライトオフィス構想というものを、1989年という極めて早い段階で打ち出していました。

児玉
それは社内向けでしょうか、それとも社外に向けたものでしょうか。

仙石
当時は社内向けでしたが、通信インフラが脆弱だった時代において、リモートオフィスの先駆けだったと思います。その背景には、米ゼロックスのパロアルト研究所(PARC)の影響がありました。彼らは、リフレッシュエリアにホワイトボードを置くと研究者同士の自由な議論が始まるといった創造的な環境に着目し、文化人類学者を招聘し、エスノグラフィー(行動観察)のアプローチを、ビジネスシーンのイノベーションに役立てられないか、研究していました。ワークプレイスやヒューマンインターフェースのデザインにエスノグラフィーを取り入れた先駆けであり、1980年代、あるいはそれより以前から試みていたことが、スタンフォード大学などにも伝播していったのです。

児玉
なるほど。ワークプレイスのあり方といえば、最近の「イノベーションセンター」は、かつてのハードウェアとしての研究所とは異なり、そもそも建設を必要としないケースも増えています。何年も前から基本構想があったものの、実際にお話しを伺うと、従来の研究所的なハードウェアは必要とされていないということもあります。

仙石
ええ。私が富士ゼロックスで、野中郁次郎先生(一橋大学名誉教授。2025年没)や紺野登先生(多摩大学大学院名誉教授)と知識創造理論(SECIモデル)をベースとしたコンサルティングを始めたのが2000年です。その後、2000年代中盤に各企業が研究開発拠点をイノベーションセンターにアップデートする流れが生まれました。

知識創造理論(SECIモデル)
初出 Nonaka, Konno (1998)”The Concept of ‘Ba’”

児玉
富士ゼロックスのフューチャーセンターは、イノベーションセンターの先駆けでしたね。

仙石
当時、多くの会社は「イノベーションとは、差別化できる技術をいち早く開発することで実現すること」と考えていました。「試作・実験室まで何歩かかるか」といった動線や、「専門性の異なる技術者同士の共創」などを重視していました。それに対して紺野先生は「現状の働き方の文脈で未来空間をつくれるはずがない」と説いておられました。10年後、20年後のビジネス形態、オープンイノベーションの状況、IT進化や働き方から逆算してコンセプトを組み立てる必要があるのだと。フューチャーセンターとは、未来社会の文脈を組織に持ち込み、問いを立てるための場です。だから都市部に置いたのです。
 研究開発拠点も同様です。研究所や研究者は、いつの時代も尽きることのない好奇心をもち「本質的な問い」を立てられるかが大事ですし、そうしたテーマを思い立った時に、彼らのワークプレイスである研究所の空間がどこまでイノベーションをサポートできるかが大事です。技術開発に没頭する時代から、ユーザー経験やビジネスモデルを含めた社会実装まで必要とされるなかで、R&Dセンターをイノベーションセンターへアップデートする要望が強まっていったと思います。ですから新施設の設計者が、「この会社が一番輝くのはどこか」を考えることは、非常に重要です。

児玉
そうですね。コロナ禍を経て、ABW(Activity Based Working)が進むかと思いきや、基幹産業に近いところではセキュリティが強化される傾向もあります。高グレードなビルは売れず、かといって都心に自社ビルを建てる企業も減るなかで、企業にとって本当に必要なワークプレイスとは何かを、あらためて考える必要があると感じています。それはハードだけでなくソフトの領域でもあり、「建てるか建てないか」というコンサルティングから始まる世界です。

仙石
ええ。互いの知を触発し、新たな発想が湧き上がるような質の高い「場」こそ、重要です。今後は、物理的な指標では測りきれない時間と空間での体験価値の提供が求められるのではないでしょうか。もっとも、近年はメタバースよりもAIの進展が先行しており、その見極めも必要になりますが……。

児玉
イノベーションセンターも、ハードとしての箱は必要とされなくなってきているのかもしれませんね。

仙石
しかし、アナログな「場」がないと新たな結合を起こせないのは事実です。決められた仕事(ルーティンワーク)は従来型のオフィスや自宅でも可能ですが、既成の枠組みを揺さぶる創発は、異質な知性が混ざり合う境界で起こります。その「高密度の相互作用」を生み出すプラットフォームの構築こそが、最大の探求テーマです。
かつては研究開発拠点をつくるにあたり、研究所内部のサイロ化(タコツボ化)を防ぐことが重要なテーマになったこともありましたが、2010年代以降は「外とつながる」、つまりオープンイノベーションが主流になりました。B to Cであれば顧客体験の場を、部品メーカーや素材メーカーはB to Bの顧客共創の場をつくることが流行しました。その次は、サードプレイス的な空間です。複数の企業が自社の技術をもち寄り、未来の快適空間をともに創る成功例もあります。また、オランダ発のコワーキングスペース「Seats2meet」は、利用無料ですが、代わりに自分の知識や特技を登録し、公開しなければなりません。利用者は「今日はここに有名な写真家がいるから会いに行こう」と目的をもって、その場に行く。単なる場所貸しではなく、人との出会いやコラボレーションを目的に場所を使い分けているわけです。同様に、研究所がイノベーションセンターへと変わり、さらにはフューチャーセンターやリビングラボへとカタチを変えているのは、知の出会いを求めた結果です。
今の文脈で便利なものをつくるのではなく、10年後、20年後の社会環境や働き方を見据えて、そこに向かって現在を変えていく。そういう視点で「場」をつくることが、これからのイノベーションには不可欠だと思います。

児玉
その時、我々設計者は、その「場」の「価値」をどう定義し、どうつくっていくか、今あらためて常識外れの取り組みが必要とされていると感じています。そこで何が起こり、どんなコラボレーションが生まれるのかというソフトの部分まで含めて提案していく必要がありますね。 また、我々が管理・運営する共創プラットフォーム「PYNT」をさらに発展させていくことも必要だと感じました。本日はありがとうございました。

撮影(左上から時計回り):日建設計(PYNT竹橋)、新津写真(PYNT北海道)、石井紀久/ブリッツスタジオ(PYNT九州)、日建設計(PYNT東京)

対談風景撮影:永井杏奈

仙石太郎
一般社団法人Japan Innovation Network(JIN)代表理事、一般社団法人Future Center Alliance Japan理事、株式会社リワイヤード代表取締役

大学卒業後、富士ゼロックス株式会社(現 富士フイルムビジネスイノベーション株式会社)に入社。
知識経営コンサルティングを行うKDI(Knowledge Dynamics Initiative)の立上げ、価値創造コンサルティング部長を経て、2019年に退職。同年、株式会社リワイヤードを設立。知識経営およびイノベーションの場のあり方を追求し、現在に至る。

児玉 謙
日建設計 代表取締役副社長、設計部門統括

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