2つの“公園”から見えてくる、パブリックスペースと商業の新しい関係。【前編】

Scroll Down

駅中心地区での大規模な開発が進む一方、2019年11月には渋谷パルコパート1・パート3(以下、「旧渋谷パルコ」という)一帯が3年の工期を経て、「渋谷 パルコ・ヒューリックビル(以下、「新渋谷パルコ」という)」として新生、また2020年7月には渋谷区立宮下公園(以下、「旧宮下公園」という)が、商業施設やホテルが一体となった複合施設「MIYASHITA PARK」として生まれ変わるなど、駅周辺エリアの変化も目覚ましい渋谷。とくに、都市再生特別地区など都市計画による新渋谷パルコと、立体都市公園制度を活用したMIYASHITA PARKは、ともに公共空間と商業空間、両方の顔をあわせ持っている。今回の対談では、新渋谷パルコの開発を担当した株式会社パルコの伊藤裕一さん、MIYASHITA PARKの開発に行政として携わった渋谷区まちづくり第一課の齋藤勇さん、そしてそれぞれの開発に計画段階から関わった日建設計都市開発部の福田太郎、設計部の三井祐介が、パブリックスペースと商業の融合から生まれる新たなまちづくりの形について語り合った。ファシリテーターは、日建設計都市開発部の杉田想。

※取材は、まん延防止等重点措置や緊急事態宣言の期間中に行われたものではありません。

TAG

MIYASHITA PARK パブリックスペースのアクソノメトリック

4階建ての立体都市公園、MIYASHITA PARK

杉田:今日は渋谷にできた2つの新しいパブリックスペース、MIYASHITA PARKと新渋谷パルコについてお話しいただきたいと思います。まずは、MIYASHITA PARKのプロジェクトの経緯を説明いただけますか。

三井:MIYASHITA PARKの事業者公募プロポーザルが行われたのは2014年で、日建設計は三井不動産さんからお声がけをいただいて参加することになりました。当初から、渋谷区の募集要項で立体都市公園制度を活用することが定められていたものの、同制度の事例があまりなかったので手探りの状態で……。最終的には4階建ての公園と、オプションでホテルを提案することになりました。また、新渋谷パルコへとつながる美竹通りの上空を3層にわたって立体化し、明治通りの歩道橋ともつなげるなど、街と一体化した新しい都市計画公園のあり方を探っていこうと。

齋藤:歴史的なところをお話しすると、よく旧宮下公園は「駐車場の上に公園がある」というふうに言われていましたが、それは正確ではなくて「公園の地下に駐車場がある」というのが正しいんです。明治通りの歩道橋についていうと、歩道橋は通常、道路附属物として位置付けられますが、あえてそれを道路認定していたことで、道路と公園が一体的につながっているという建て付けでした。「公園こそがグランドレベルにある」という思想に基づき、公園の地下に「都市公園法で認められる占用物件としての公共駐車場」があるという解釈だったのです。宮下公園等整備事業の都市計画変更を検討していく中で、その事実について再認識しました。

杉田:旧宮下公園は、やはり公園としての機能がベースだったのですね。

三井:MIYASHITA PARKは、上空に「キャノピー」という特徴的な設えをつくり、緑陰空間と渋谷らしいアクティビティを両立しつつ、一体的な公園施設をイメージした提案をしました。また、4階建ての公園は“アウトモール型の商業”として、外に開かれている施設を既存の基盤とシームレスに接続していくことで、ここにしかない、渋谷の新しいシンボルをつくっていこうという試みです。

齋藤:プロポーザル当時は、「本当にこんなデザインにできるのかな」と思いつつ眺めていました。その頃、私は渋谷駅周辺整備課にいて、宮下公園のプロジェクトはある意味、管轄外だったのですが、その後まさか担当になるとは思ってもいなくて(笑)。担当になって早々、立体都市公園ということで、どうやって4階の公園にスムーズにアプローチさせるのか、そして公園内にはどんな機能を入れるのかを、日建設計さんをはじめ事業者のみなさんと喧々諤々議論した記憶があります。

新渋谷パルコ 公園通り下よりみる

渋谷のパルコは、会社の魂のようなもの

杉田:新渋谷パルコの開発の経緯は、どんなものだったのでしょう。

福田:この開発は、旧渋谷パルコを中心とした複数の地権者による法定市街地再開発事業で、都市再生特別地区を活用してさまざまな取り組みを行ったプロジェクトです。私たちは、パルコさんにお声がけいただき、竹中工務店さんの開発計画本部のチームとともに、都市開発コンサルタントとしてプロジェクトに関わりました。100年に一度ともいわれる駅中心地区の開発が始まり、渋谷全体がもう一度変わろうしていく中で、駅周辺エリアの目玉として、渋谷区さんや東京都さんの想いも含めて持ち上がったプロジェクトでした。鉄道や道路などの基盤改良が絡む駅中心地区ほど大規模ではありませんが、それとは違うやり方で、「新しい渋谷の方向性を示したい」、また「大規模基盤整備型ではない、新しい都市再生特区がどうあるべきか」というところから、改めて議論を重ねました。

伊藤:開業したのが2019年の秋で、計画から竣工まで約10年かかったというのが社内での認識です。これまで渋谷では、旧渋谷パルコという館に限らず、まわりの劇場や映画館、ストリートを含め本当に多様でチャレンジングな文化発信をしてきました。その基幹である渋谷のパルコ は、会社の魂のようなもの。次の時代を考えたとき、既存の建物を改修して使い続けようという意見もあれば、建て替えて新しいものを世の中に発信したいという想いもありました。

福田:足元に商業と上階にはオフィス、中間階には劇場をはじめとするエンタテインメント施設、そしてそれらをつなぐ、ふんだんな公共空間で構成されています。MIYASHITA PARKとは違って実際の「公園(公共用地)」ではありませんが、民地の中にリッチなパブリックスペースをつくった開発として、稀有な例といえるのではないでしょうか。

新渋谷パルコ パブリックスペースのアクソノメトリック

伊藤:都市再生特区を使った市街地再開発事業は、パルコの中でも初めての試みでした。純粋な商業施設として考えても、基幹店を建て替えて、また同様の商業施設を継続するというのは実は珍しい例です。さらに他と違うのは、屋上や足元を含めて公共空間を立体的に整備したところ。加えて、そこに商業空間や、パルコのアイデンティティともいえるエンタテインメント施設を連動させています。

三井:建物全体の骨格を決めるときに、外周をとりまく「立体街路」の案は、すでにあったのですか?

伊藤:立体街路のコンセプトは基本設計の段階から、一度も変更していないんです。まわりの方からは、よく決裁が下りたねと言われるのですが(笑)、私たちの中ではわりと当たり前の判断で、そこの議論はあまりありませんでした。基幹店だからこそ、面白いものをつくりたいというムードのなかで一貫して進んできたプロジェクトだったんです。

福田:当初からブレていないですよね。私は東京都の担当者から「この立体街路はなくならないよね?」と逆に心配されていました(笑)。低層階が商業・エンタテインメント施設メインの開発にあって、行政担当者も「本当か?」と感じるくらいインパクトが強かったのでしょう。

MIYASHITA PARK 屋上 ボルダリングウォール

人々が集まる“公園”という場所のあり方とは

杉田:両者ともに、ある意味で“公園”をテーマにしたプロジェクトですが、それにかける想いやエピソードなどはありますか?

伊藤:パルコという社名自体が、イタリア語で「公園」という意味ですから、会社のDNAとして「人々が集まれる場をつくる」というマインドがあります。旧渋谷パルコが誕生したのは1973年で、それ以降、区役所通りは公園通りと呼ばれるようになりましたが、渋谷区や商店街のみなさんと協力して歩道を拡幅したり、洒落た赤い電話ボックスを設置したり。駅から近いわけでもなく、しかも坂を上っていく立地なので、わざわざ来てもらえるような仕掛けをずっと考えてきた歴史があります。

齋藤:当時、スペイン坂もパルコさんと商店街が一緒になって、現在のような舗装にしたと聞いていますし、旧渋谷パルコができたことで、一帯のエリアを含めて街の雰囲気はかなり変わったと言われますよね。

伊藤:周辺にも、ライブハウスやスタジオなどをいくつも持っていたこともあって、当時からエリア全体を盛り上げたいという意識があったのだと思います。

MIYASHITA PARK 屋上

杉田:最近の都市計画に関わる施設では、周辺のまちづくりとの連携などが盛んに行われるようになってきましたが、昔からそのような取り組みをされていたのですね。そのあたり、MIYASHITA PARKはいかがですか。

齋藤:周辺との連携はもちろんですが、公共空間の魅力を高めるために公民連携は重要な要素ですよね。民間企業からの協力という点についても、渋谷は他の街にはないリソースを持っていると感じています。中でもMIYASHITA PARKは、渋谷というポテンシャルの高い都市における、まさに公民連携の先駆け。公共空間が収益を生み出すという視点から見ても重要なプロジェクトのひとつで、これからもさまざまな “稼げる公共空間”の展開が生まれる可能性があると考えています。

三井:今はモノが売れない時代ですし、商業施設は買い物だけではない居場所のつくり方というか、そこに来る目的をつくっていかなくてはならない。公園がある、ということは大きなアドバンテージですが、公園がただ屋上にあるというだけではダメで、劇場があって、店があって、公共空間があるという、街の間口を文化的に広げている新渋谷パルコのようなあり方を、MIYASHITA PARKも目指すべきだと考えていました。

齋藤:各所からいかにスムーズに公園に上がることができるか、その参考とするために、実際に日枝神社や泉ガーデンタワー、そしてフジテレビなどいろいろな階段を見に行きましたし、居場所をつくるために、階段の形状や踊り場の配置などもいろいろと検討していただきました。

三井:細長い敷地なので、街に対して開かれていて歩いて楽しい、エリアのハブのような存在になるべきだと考えていました。建物内で回遊する商業のセオリーではなく、街のさまざまな方向からアクセスできて、外部を歩きながら食事したり休憩したり、道行きすべてを公園らしい設えにすることを強く意識して。

MIYASHITA PARK 1階 明治通り側

齋藤:他にも回遊性の面でいうと、原宿方向につながる北側にはもともと横断歩道がなかったので、歩道橋を渡るか遠回りするしかありませんでした。公園に面している明治通りは都道なので、東京都とも協議を重ねて、横断歩道を新たに整備することになりました。MIYASHITA PARKの階段を下りてそのまま歩いていけるようになって、原宿側との回遊性がより高まったというのも非常に重要なポイントだと思います。

三井:人通りが増えると、1階の商業床の価値も上がります。施設全体の事業性にも貢献するので、結果的にパブリックスペースをよりよくすることにもつながっています。

伊藤:私も2002年ぐらいからずっと渋谷で働いていますが、公園通りから原宿方面には行きづらいというのが当たり前になっていたので、動線の改善はかなり印象的でした。歩道橋との連携もとれていて、ああ、こういう効果があるんだというのを体感できたというか。

三井:公園だけではなく、渋谷のストリートのように、商業空間の隙間にも人々の居場所がある、パブリックスペースを目指しました。道路や公園といった土木の領域とも一体化しているので、商業施設でも公園でもなく道でもない、それらが溶け合った空間をつくれたら、ということは、いつも念頭に置いていましたね。


図版出典
・MIYASHITA PARK パブリックスペースのアクソノメトリック:竹中工務店提供の図面を元に日建設計作成
・新渋谷パルコ パブリックスペースのアクソノメトリック:竹中工務店提供の図面を元に日建設計作成

写真
・注意書きのない写真は2021.3撮影。


伊藤 裕一
株式会社パルコ 都市開発部 部長

株式会社パルコ入社後、店舗営業、宣伝局、財務統括局、経営企画室を経て2014年より開発部(現・都市開発部)に配属、2018年より現任。パルコとして初の既存店建替プロジェクトである新渋谷パルコ建替計画に携わり、地区計画の策定から、再開発及び特区等に係る都市計画提案及び行政協議、借家人対応等、法定再開発に関する業務を担当。

齋藤 勇
渋谷区 都市整備部まちづくり第一課長

大学卒業後、大手ハウスメーカー設計部門を経て、1994年より渋谷区の建築技術職として建築確認や開発許可の審査、景観計画や地区計画の策定、渋谷駅周辺整備事業等に従事。2016年より公園プロジェクト推進担当課長として宮下公園等整備事業に携わり、現在は、まちづくり第一課長として市民コミュニティ活動支援や公共空間利活用推進をはじめ広範な事業に取り組むとともに、公民連携まちづくり共創プラットフォーム「ササハタハツまちラボ」の事務局長も務める。

三井 祐介
日建設計 設計部門 設計部 シニアプロジェクトデザイナー

2004年、東京工業大学理工学研究科建築学専攻を修了後、日建設計に入社。都市開発、大規模複合施設、商業施設、オフィスビル、学校施設等の設計やコンサルティングを担当。近年では「東京スカイツリータウン」、「灘中学校・高等学校」、「赤坂センタービル」「ホソカワミクロン新東京事業所」「MIYASHITA PARK(ミヤシタパーク)」など。現在は都内の商業施設や再開発業務に携わっている。

福田 太郎
日建設計 都市部門 都市開発部 ダイレクター

日建設計入社後、海外都市のアーバンデザインやウォーターフロント遊休地活用検討などに携わり、近年は、渋谷・新宿・虎ノ門などをフィールドとしたTOD(えきまち一体)プロジェクトの開発・法規制緩和・エリアマネジメントコンサルティングなど、幅広く活動。直近では、エリアマネジメント協議会と連携し、渋谷スクランブルスクエアの外壁面に約780平方メートルの大型デジタルサイネージを設置するなど、都内初・都内最大級の広告規制緩和に関わるコンサルティングを展開。

杉田 想
日建設計 都市部門 都市開発部 アソシエイト プランナー

2011年、早稲田大学創造理工学研究科建築学専攻を終了後、日建設計に入社。入社後、渋谷スクランブルスクエアにおける都市計画を担当。設計部門に異動後、複合用途の建築物や研修所の設計に従事。その後、都市部門に戻り、近年日本橋における都市計画や、TOD(駅まち一体型開発)プロジェクトなど、複数街区の連携する都市再生に携わっている。

当サイトでは、クッキー(Cookie)を使用しています。このウェブサイトを引き続き使用することにより、お客様はクッキーの使用に同意するものとします。Our policy.