自然共生時代のランドスケープ主導のマスタープラン
シンガポール・レールコリドー

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気候変動対策として、また都市の暮らしを豊かにするインフラとして、緑やパブリックスペースの重要性がますます高まっています。2015年にスタートした「レールコリドー」は、シンガポールを南北に縦断する旧マレー鉄道跡地をパブリックスペースとして再生するプロジェクト。全長24km、約100haにもおよぶ壮大な国家プロジェクトは、どのようにして実現したのか。日建設計が描く、自然共生時代にふさわしいランドスケープ主導のマスタープランをご紹介します。

全長24km、約100haにおよぶ、広大なパブリックスペースの再生

東京23区よりひと回り大きいくらいと国土面積が狭く、高温多湿で資源や産業に乏しいシンガポールでは、独立を果たした1960年代以来、緑化政策や環境政策が大きな柱となっています。建国当初のコンセプトである「ガーデン・シティ」から、2000年代には「シティ・イン・ア・ガーデン」へ、そして現在は「シティ・イン・ネイチャー」(自然の中の都市)を国家戦略として掲げており、レールコリドーの再生もそのひとつに位置づけられていました。
そもそも「レールコリドー」とは、2011年に廃線となりマレーシアから返還された鉄道跡地の通称で、シンガポールの国土を南北に縦断する、全長24km、約100haもの広大な空間です。廃線跡地の活用事例としては、パリのプロムナード・プランテ(1986年)、ニューヨークのハイライン(2011年)などがありますが、レールコリドーは他に類を見ないほどのスケール。しかもそれが高架上ではなく、まちと直接つながる地上に存在しているのですから、その再生は市民に与える影響も非常に大きい、まさに国家をあげた一大プロジェクトといえるものでした。

シンガポールの国土中央を縦断するレールコリドー(旧マレー鉄道廃線跡地)

2015年に行われた国際設計コンペにあたって、主催者であるシンガポール都市開発局(URA)から出された要望は、「感性を刺激する非凡なパブリックスペースとしての再生」というもの。何をつくるかは決められておらず、24kmの跡地には「ノード」と呼ばれる10か所の重点地区が設けられ、ノードごとに異なるデザイン提案が求められました。

パブリックスペースから、新しいライフスタイルを描く

日建設計チームによる提案のタイトルは「LINES of LIFE」。レールコリドーを、沿線の多様な人々の生活や生態系をつなぎ合わせるライフスタイルを象徴する空間として捉え直し、魅力的なパブリックスペースへと変えていく具体的な戦略を整理したものでした。

テーマは「Stitching the nation with lines of life」で、シンガポールの国土を東西に分断していた鉄道をコミュニティを結ぶ“ステッチ(縫い目)”として再生していくことを目指す。単線の「LINE」ではなく、複数形の「LINES」としたのは、いろいろな人たちがここを訪れ行き交うことで、新たにできる無数の「生活の線」が国を縫い合わせていくという思いからでした。

レールコリドーが周辺のまちに開かれることで生まれる様々な暮らしの風景を描く

シンガポールのまちを見ると、確かにきれいで洗練されていて緑も多い、ただ人工的でどこか窮屈にも感じられました。モダンでコントロールされた日常から離れて、ほっと一息つける空間。移動空間として魅力的でありながら、長い緑道というよりは自分の家にとっての前庭のような空間でもある。その庭を充実させていけば、パブリックスペースを中心にした新しいライフスタイルが描けると考えたのです。

また、提案にあたっては、日建設計の都市デザイナーやランドスケープアーキテクトはもちろん、現地のランドスケープ事務所やエンジニアリング事務所、各分野の専門家など、領域横断的なチームを編成しました。プロジェクトメンバーが大切にしていたのは、とにかく「ランドスケープファースト」であること。その言葉どおり、何度も現地へ足を運び、実際にレールコリドーを歩いて、緻密な調査と分析を繰り返していきました。

ランドスケープ主導のマスタープランとは?

最も苦労したのは、膨大な情報をどう整理し、可視化し共有するかということ。というのも、全長24kmと広大で、かつ国土を縦断するレールコリドーには、市街地のほかにも自然保護地域や工場地帯といった、さまざまなエリアが存在しています。加えて、シンガポールは多民族国家のため人種やコミュニティも多様だから。

上段:レールコリドーが持っている「4つの価値」、下段:レールコリドーが目指す「3つの目標」

まずはレールコリドーが持つ「4つの価値」と「3つの目標」を設定し、24kmを8つのストレッチに分けた「マトリックス」を作成。マトリックスでは、各エリアが今どんな土地利用をされていて、どんな課題があり、どんなアクティビティが想定されるのか、地形や植生なども含めて整理しています。そこからレールコリドーに多様性を生み出す「6つのストーリー」を導き出しました。

土地を読み解き、歴史やコンテクストを読み解き、コミュニティを読み解き、最終的にはシンガポールという国を読み解く。エリアごとのキャラクターを理解し、その価値を10か所のノードに落とし込み、24kmがひと続きのパブリックスペースとなるようにまとめていく。こうした構築の手法こそが、私たち日建設計が考える「ランドスケープ主導のマスタープラン」なのです。

上段:長さ24kmの特徴(アクセス、土地利用、交通、地形、植生など)を一瞥できるようにした敷地分析のマトリックス、
下段:レールコリドーに多様性を生み出す6つのストーリー

この「マトリックス」や「6つのストーリー」は、国や専門分野、担当するスケールも異なるプロジェクトメンバーをまとめ、共通の視点で語れるガイドラインとしても機能しました。こうしたランドスケープ的なアプローチによって、ローカルとグローバル、2つの視点をかけ合わせた提案が完成し、世界各国から64チームが参加した1次審査でファイナリストの5チームに選出。2次審査を経て、マスタープラン部門の優勝者に選定されました。

そして2016年には、いよいよ先行開発区間の設計がスタート。周辺住民を対象にしたワークショップのほか、シンガポール政府や市民団体、専門家などへのヒアリングを行い、さまざまな意見をマスタープランにフィードバックしていきました。こうして、トップダウンだけでもボトムアップだけでもない、市民とともにつくる新しいパブリックスペースが生まれたのです。

既存の駅舎を残して再生したBukit Timah Railway Stationは、周辺住民の憩いの場となっている。
©Fabian Ong

必要なのは「長期的な視点」と「境界を越える意識」

2021年の一部オープン後に現地を訪ねてみると、地域の人が森の中を散歩したり、観光客がカフェでくつろいだり写真を撮ったり、さまざまな人種・国籍の人たちが日常的にレールコリドーを利用していました。さらに2024年に再訪した際には、先行エリアにとどまらず整備が進み、中心市街地から自然保護区域までが一体となった風景が広がっていました。アフターコロナのまちの新たな暮らしに溶け込むレールコリドーの姿を、実際に目の当たりにしたのです。そうした光景を目の当たりにして、私たちが思い描いたビジョンがようやく実現したこと、また改めて、環境的にも社会的にも意義のあるプロジェクトだったことを実感しています。
かつてマレー鉄道は、シンガポールという国を分断するマイナスの要素でしたが、今ではまちとまちをつなぐ、本当の意味でのパブリックな空間に変わりました。またノードが賑わうことで、そこを起点に各エリアがつながり、分断をつなぎとめる触媒となっている。そこに、パブリックスペースの強みと価値を感じました。
  • 緑に囲まれた区間はランナーに人気。
    ©Fabian Ong

  • 日常的な生活動線としても活用されている。
    ©Nikken Sekkei

  • トラス橋や線路を歴史遺産として活用。
    ©Fabian Ong

  • 高温多湿な気候に不可欠な屋根付の休憩所。
    ©Fabian Ong

  • 豊かな緑が人々を出迎えるBukit Timahのエントランス。
    ©Fabian Ong 

私たちがレールコリドーから学んだのは、長期的な視点で、その場所が持っている本質的な価値は何かと考えること。そして、官民の境界を越えてパブリックスペースをつないでいく意識を持つことの重要性でした。これから日本でも、レールコリドーのような都市インフラの再生に伴うパブリックスペースの再生が盛んになるでしょう。ただ日本の場合、まだまだ官は官、民は民という意識が強く、互いに連携したプロジェクトが少ないという課題があります。

公共空間整備であるレールコリドーと民間開発によるパブリックスペースとが一体的に整備され、美しく使いやすい空間形成がなされている。
©Fabian Ong 

そもそもユーザーが日常的に使う公共空間に、官や民の境界はないはず。まずは、それぞれの民間開発や公共空間整備が自己完結せず、官民の境界を越えた空間の全体性(Totality)と、長い時間軸で変化に対応できる寛容性(Tolerance)を持ったビジョン・計画を共有すること。また、行政主導の公園や道路、水辺などの整備においても、周辺の民間敷地との境界を越えて互いに利益を享受し合う関係性が生まれてはじめて、都市生活はより豊かで健康なものになるでしょう。

日建設計はこれからも、レールコリドーで得た知見を活かして、自然に根差した新しいパブリックスペースのあり方を模索し続けていきます。また、国内外のさまざまなプロジェクトを通じて、そうしたムーブメントを広げていきたいと考えています。

  • 金香 昌治

    金香 昌治

    都市・社会基盤部門都市デザイングループ
    部長

    ランドスケープアーキテクト/アーバンデザイナー。
    京都工芸繊維大学卒業、ワシントン大学大学院修了後、米国の設計事務所にてランドスケープ及び都市デザイン業務に従事。2012年に帰国し、日建設計入社。近年ではシンガポール・レールコリドー、日比谷公園再生整備計画、高輪ゲートウェイシティ、柏の葉イノベーションキャンパス/アクアテラスなど、国内外で都市×建築×造園×土木の領域を横断的に捉えた持続可能なアーバンデザイン、生命中心のパブリックスペースの計画やランドスケープデザインに取り組む。
    日本造園学会賞(作品部門)、土木学会デザイン賞、IFLA-APR Awardなど受賞多数。RLA、LEED AP BD+C、日本ランドスケープアーキテクト連盟(JLAU)理事、武蔵野美術大学非常勤講師。

  • 鈴木 卓

    鈴木 卓

    都市・社会基盤部門都市デザイングループ
    部長

    ランドスケープアーキテクト。千葉大学園芸学部卒業、AAスクール大学院修了。2014年、英国、米国での10年間の設計事務所勤務を経て、日建設計に入社。海外での豊富な設計活動の経験をもとに、国内外にてその土地固有の風土、文化、歴史を丁寧に読み解くことを大切にし、パブリックスペースの設計から都市計画までスケールを横断して人々の暮らしを豊かにする環境づくりに取り組んでいる。主な仕事に、WUHAN AVIC PARK、ミュージアムタワー京橋(IFLA Asia-Pac Award of Excellence 受賞等)、シンガポール「レールコリドー国際設計コンペ」(マスタープラン最優秀賞受賞)など。
    京都芸術大学大学院 特任教授、千葉大学非常勤講師。英国登録ランドスケープアーキテクト(CMLI)。

  • ダミアン ペイシェンス

    ダミアン ペイシェンス

    海外事業部門 海外ビジネス推進グループ
    アソシエイト

    2003年、ニュージーランドのヴィクトリア大学ウェリントン校で建築を学び、住宅、商業、インフラ施設の分野で経験を積んだ後に日建設計に入社。プロジェクト開発部門を経て、現在海外事業部門。大使館から王室所有の敷地まで、さまざまなプロジェクトのマネジメントを担当し、日本国内のみならず、サウジアラビア、ドバイ、カタール、トルコ、中国、パラオ、シンガポール、マレーシアなど、世界各地でさまざまなスケールの都市計画、都市デザイン、建築のプロジェクトに携わる。計画分野や国際的なクライアント、コンサルタントとのコミュニケーションにおける幅広い経験を活かし、日建設計の多分野の人材との調整役として、効果的なプロジェクトの実現に尽力している。英語と日本語に堪能。

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